12年前に起きたアルジェリアの事件に想う事
アルジェリアの南部に広がる砂漠(サハラ砂漠)には巨大なガス&油田が広がり、日本の多くのエンジニアリング会社がその開発に携わっています。
そういう中、2013 年の1月に日本のエンジニアリング会社最大手の「日揮」の社員が人質となり、10人もの尊い命が奪われるテロ事件が起きました。もうすぐ12年になろうとしています。
私もアルジェリアの仕事に深くかかわっていた時期があり、この事件は他人事とは思えないという思いで受け止めていました。
【アルジェリアは地中海に面し、地中海沿いは南仏と同じ地中海式気候で大変凌ぎやすい気候です。しかし、中南部はサハラ砂漠となり、不毛の地が広がっています】
私の経験ではアルジェリアの仕事はとてつもなく厳しい仕事でした。
私の場合はせいぜい2週間~1か月の滞在を何度か繰り返す程度でしたが、日揮の社員の方には数年間現場に赴任されている方も多くいました。
そういうとてつもない苦労をされた方々の結末がテロの犠牲者だったと思うと、私も悔しさがこみ上げなんともやるせない気になりました。
あれから12年たちますが、当時感じたショッキングな気持ちは今もなお残っています。
以下JIJIはJIJIドットコムの記事です
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アルジェリア人質事件
2013年1月16日早朝(日本時間同日午後)、アルジェリア南東部イナメナスにある英石油大手BPが関係するプラント建設現場をイスラム武装勢力が襲撃し、警備要員と銃撃戦になり、プラント建設大手「日揮」の社員ら日本人17人を含む多数の人質を取って施設に立てこもった。
アフリカ西部マリの国際テロ組織アルカイダ系武装勢力メンバーは、モーリタニアの通信社に、マリに軍事介入したフランスに領空使用を認めたアルジェリアに対する報復だと犯行を認めた。
アルジェリア軍は翌17日昼(日本時間同日夜)、武装勢力と人質を乗せて施設内を移動していた車両を空爆、事件発生から2日目にして人質救出作戦に踏み切った。軍部隊が施設に突入して武装勢力側との地上戦にも発展。緊迫の作戦は数時間にわたった。この結果、日本人関係者10人を含む外国人多数が犠牲になった。
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以上が記事内容です。
私がアルジェリアの仕事に携わっていた期間は、1992年~1998年頃でした。
駐在ではなくて、2週間~1か月程度の出張を繰り返す日々でした。
かれこれ10回、いや20~30回くらいは行ったかな。。。。
南アフリカ、インド、フランスの思い出はたびたびブログでも綴ってきましたが、アルジェリアに関しては仕事オンリーの思い出しかなく、あえてブログには書いてきませんでした。しかし、自分自身の備忘も兼ねて、アルジェリア・シリーズを3~4回にわけて、ブログに書いていこうと思います。
仕事中心のつまらないブログになると思いますがよろしくお願いします。

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