横浜にある3つの塔 ~まるで海外@開港記念館~ 余談:阪神淡路大震災~30年
横浜港近辺には大正~昭和初期に建てられた3つの塔があります。
一つ目は現在も神奈川県の本庁舎と使われている建物で「キングの塔」。今でもよくドラマのロケでも使われています。
二つ目は横浜税関としてつかわれている「クイーンの塔」。
そして、三つ目は横浜市開港記念館で「ジャックの塔」と呼ばれています。
現在横浜港周辺には高層ビルが立ち並び、塔そのものは目立たなくなりましたが、低層階建築しかなかった昭和初期には3つの塔はよく目立っていたと思います。
遠くから横浜へ入港する目印にもなっていたようです。
横浜開港記念館「ジャックの塔」 英国風の建物
神奈川県庁「キングの塔」 風格が漂っています!
横浜税関「クイーンの塔」 モスクのような雰囲気です
まるでここは海外?と思わせる開港記念館の外観♬
内部は見学可能です。
江戸末期の雰囲気がよく伝わるステンドグラス
黒船をモチーフした素晴らしいステンドグラス
よくメンテされていますが、内部は昔の雰囲気がそのまま残っています。
会議室やホールは現役!一般に貸し出ししているようです。
余談:阪神淡路大震災~30年
1995年1月17日の早朝に阪神淡路大震災が起きてから今年で30年。
当時私は鎌倉の自宅にいました。1月14日(土)~16日(月)は3連休で、震災の前日16日はフルマラソンの市民大会に参加し、疲れ切った体で17日(火)の朝を迎えていました。
そして、TVニュースを付けたところ、関西がとんでもない状況になっていました(もしかしたら、早朝に少しの揺れを感じて起きたのかもしれませんが、そこまでの記憶がない)。
実家が兵庫県尼崎にあり、幸いにもすぐに電話は繋がりました(その後、しばらくしてから全く通じなくなりました)。実家には母親、妹、そして母方の祖母が一緒に暮らしていました。まだ日が明けきらない状況で、命に別状はないことは確認できましたが、母親からは電話越しに家の外は瓦が散乱し足の踏み場もないことなど恐怖を物語り、途方にくれている様子が伝わってきました。しかし、とりあえず命があってホッとしました。
震災の翌々日の水曜日~から休みを頂き、飲料など緊急支援物資を携えて尼崎に向かいました。新幹線は京都まで、京都~JRと阪急電車を乗り継ぎ、実家へたどり着きました。
震源地から離れてはいるものの、尼崎界隈もかなり大きな被害を受けていました。
実家の倒壊は免れたものの、屋根瓦がほぼ全て落下しており、内壁はところどころヒビが入っていました。ただ、傾きは無かったので、雨対策さえすれば住める状況でした。
近所の方に手伝っていただき、屋根に青いビニールシートをかけ緊急対応をまず行いました。電気、ガス、水道が使えたかどうかは記憶に残っていませんが、多分大丈夫だったと思います。3日~4日滞在し、何とか生活ができることを確認し、鎌倉へ戻ってきました。
その後、市の担当の方に家をみてもらい、「半倒壊」という診断がおりました。
屋根、外壁などの修復を行い、震災から5年ほど住んでいましたが、2000年頃に母親は一人住まいになったことを契機として実家の建て替えを行いました。
今は実家の周辺の多くの住宅も建て替わっていて、震災の面影はなくなりました。
あれから30年~早いものです。
繁栄も復興も、1世代(25年くらい)経過するとガラッと変わるものだなぁと思いました。
お正月には能登半島地震からはや1年。一昨日は東日本大震災から14年。日本人は震災とともに暮らしているんだなぁとつくづく思います。
そして、南海トラフへの備えなど叫ばれていますが、尼崎界隈をみると日本は復興の力があると思います。でも、まずは備えですね。
余談が長くなりました。。。








このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。