鎌倉~湘南のローカル情報

4年の南アフリカ生活を終え日本へ帰国!鎌倉~湘南を中心にローカルな話題をお伝えします!

鎌倉大仏へ そして鎌倉の裏通り ~余談:ブルガリアの仕事を振り返って~

ケーシーかまくら

久しぶりに鎌倉の大仏さんを訪問。
普段は外国人や修学旅行生などでいつも大賑わい。
東南アジアからの訪問者かな、大仏さんの真ん前で靴を脱ぎ裸足となり、大仏さんの正面に佇み深々とお辞儀をしてから手を合わせている若い女性がいました。若いのに信心深いなぁと感心するとともに、そういう人たちを引き付ける魅力が大仏さんにあるのかなぁと思いました。


エントランスからすぐに大仏さんが現れます。
(ただし、エントランスの外からは大仏さんが少ししか見えない。。。)
拝観料は300円です(⌒∇⌒)

大仏さんは国宝です。男前ですね(⌒∇⌒)

斜めからみる大仏さんが一番素敵かな!

大仏さんサイズのわらじ?

横からみると少し猫背?

長谷にある「甘縄神社」
鎌倉最古の神社らしい(710年創建)

甘縄神社の麓にある鎌倉の洋館「加賀谷亭」
現在はレストランとして使用されています。

加賀谷亭の庭(右側~シェードが下がっているところ~レストランエリア)

鎌倉雪ノ下にひっそり佇む「旧川喜多亭」
現在は川喜多映画記念館となっています。

【旧川喜多亭】


余談:ブルガリアでの仕事を振り返って (その1)
年末にアルジェリアでのビジネス記を綴ってきましたが、今回はブルガリアでのビジネス記を数回にわけて発信したいと思います。


1995年頃、アルジェリアのプロジェクトを中心に仕事をしていましたが、アルジェリアでは原理主義者による外国人排斥運動が起き、アルジェリアに住んでいたり出張で滞在している外国人を標的にしたテロで犠牲者が増え始めました。日本政府もアルジェリアへの渡航制限を宣言したため、2年ほどアルジェリアへの出張ができなくなりました。


そこで、一時的に東欧の市場を担当するようになりました(結局それが縁となり、1999年にポーランドへ駐在することになるのですが。。。)。
東ヨーロッパの最初の仕事はブルガリアでした。
ブルガリア中央部にある大型機械工場が古くなったので、それを改修してほしいというプロジェクトです。
工場を診断し、必要な機械数十台を新しいものに交換。ただブルガリアの企業には資金がないため、銀行団を組成して資金調達をアレンジする事がプロジェクトの内容でした。


1995年~1997年くらいにかけて、7~8回ほどブルガリアへ出張しました。
当時の東ヨーロッパはソ連崩壊後、ソ連の脅威はなくなったものの、民主化の途上で政治も経済も安定化には程遠い状況でした。その中でも、東ヨーロッパではポーランド、チェコ、スロバキア、ハンガリーは素早く民主化へ移行できましたが、ブルガリアやルーマニアは西欧化が遅れていました。
当時のブルガリアはまだコメコン(ソ連を中心とした経済圏)の影響が色濃く残っていました。


さて、ブルガリア・ソフィアへの出張ルートです。日本からの直行便はありません。
ロンドンやパリもしくはフランクフルトなどの西洋の都市で乗り継いでソフィアへ飛行するとなると、無駄に大きく戻る事となります。今はトルコのイスタンブールを経由し、そこからソフィアまでは1時間半なので一番便利かもしれません。しかし、当時はトルコルートはあまりメジャーではなく、乗り換えの利便性などを考えると、ロシアのアエロフロート航空、すなわちモスクワ経由を利用するのが一番便利でした。ロシアの飛行機となると、ツポレフやイリューシンなどのロシア産の飛行機?というイメージを抱きますが、成田ーモスクワ間はエアバスの中型機が運航されていて安心でした。とはいえ、モスクワーソフィア間は旧ソ連製のツポレフ機でした。
(ツポレフ機のイメージ ~尾翼にエンジンが付いています)

尾翼にエンジンがついていて、搭乗すると後ろから押されている~という圧が伝わってくる飛行機でした。そして、離陸時は急上昇している感じが半端なかったです。
着陸時は空いている座席の背もたれが前にバタバタバタ~と倒れていくのがとても印象的でした((笑))


ブルガリア記は続きます。

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