鎌倉~湘南のローカル情報

4年の南アフリカ生活を終え日本へ帰国!鎌倉~湘南を中心にローカルな話題をお伝えします!

三島大社と福太郎餅

「三島」は伊豆へ行くにも、静岡方面へ行くにも、または富士山方面へ向かうにもよく経由する交通の要所ですあ、三島を目的地とすることは殆どありませんでした。


今回は三島を拠点に伊豆北部を巡ってきました。


源氏ゆかりの「三島大社訪問」を参拝。JR三島駅からは徒歩圏内です。

大社と言われるだけあり、壮大な境内を有する大きな神社。三島の誇りを感じました。


源頼朝が伊豆へ流されたあと、源氏再興の志を秘めながら過ごしたのが三島でした。

頼朝は三島大社で百日詣の祈祷を行い、平家打倒への旗揚げとなりました。

由緒ある神社ですね。


三島大社の総門

大きなしめ縄が印象的

荘厳な本殿

朝早い参拝で、空いていました(⌒∇⌒)

本殿の手前に舞殿(左)があります。

ところどころに荘厳な回廊がめぐらされています。

三島大社の名物 福太郎餅

餅は生命力を宿し、よもぎは邪気を払うといわれています。

縁起物として購入(⌒∇⌒)

あんこは烏帽子をモチーフしています。

さすが源氏にゆかりがある神社です。

境内には多くの桜の木がありました。

開花の季節は美しい桜に囲まれることでしょう(⌒∇⌒)


(運慶の作品(国宝)は次回ご紹介します)

世界遺産「韮山反射炉」 日本の産業革命遺産

今から10年前の2015年に世界遺産に登録された「韮山反射炉」を訪問。


明治維新前後に勃興した日本の産業で、普遍的な価値(どのような時代でも通用し、人々に尊重されているというような意味かな。。。)を有し保存状態のよい産業遺産をまとめて、世界文化遺産として登録されました。


2015年に世界文化遺産に登録された産業遺産は長崎、萩、鹿児島、八幡、三井、佐賀、釜石、そして韮山の8エリアにある23の産業設備で構成されています。

その一つが伊豆の国市にある「韮山反射炉」となります。


反射炉の構造や建設した時代背景に興味があったので、ボランティ・ガイドさんによる説明を受けながら見学。

江戸時代の後期、ペルーの来航で危機感をもった江戸幕府が、国防のために日本でも大砲を作らないといけない、というお国事情が建設の背景にありました。


1854年にペリーが来航し、韮山反射炉は1857年に完成

明治維新は1868年なので、維新の11年前には韮山反射炉は存在していたことになります。

貴重な産業遺産です。


炉内には耐火性の高いレンガが積まれています。石炭などを燃やし、そのレンガが千数百度となった熱を炉内で反射し、銑鉄を溶かして鉄を精製することから反射炉と呼ばれているようです。千数百度の高熱に耐えるレンガは当時の日本には殆どありませんでしたが、伊豆の土で焼き上げた煉瓦の耐火性がすこぶる優秀で、それを用いて韮山反射炉の建設が一気に進んだようです。

そして、韮山反射炉では、鋳物製の18ポンド・カノン砲(大砲)を製造していました。


高さ約15メートルの韮山反射炉

4つの炉から構成されています。

青空に映えます(⌒∇⌒)

18ポンド・カノン砲

韮山反射炉は世界遺産なので、文科省の所有となりますが、保存や管理は伊豆の国市が担っています。反射炉周辺は美しい景観が保たれています。

当日は伊豆の「達磨山」で冠雪した富士山を観ようと思って出かけました。素晴らしい晴天でしたが、富士山周辺だけ雲がかかっていて、達磨山へは行かず、予定を自然巡りから文化巡りに変更し、韮山反射炉へ。


反射炉のガイドさんから、車で10分くらいのところに運慶作の仏像が安置しているお寺があるとお聞きし、このあと行ってきました。現存する運慶の作品は日本国内に30数作品しかありませんが、そのうち5作品がそのお寺にあり、5体の木像仏すべてが国宝というお話を伺い、貴重な運慶の作品が身近にある事を知り、一気に興味具合が沸騰。

次回掲載します(⌒∇⌒)

「吉祥寺」~都会過ぎて驚き~ &チョコレート専門店 @プレスキル

若い時は、渋谷だろうが、新宿だろうが、大都会の人混みに身をゆだねても疲れる事はありませんでした。しかし、今は短時間でも人混みに揉まれると、帰宅後はいつもクタクタ~歳を感じます(笑)


先日、所要で「吉祥寺」へ行ってきました。

住みたい街でいつも上位にランクされていますが、実は人生初の吉祥寺でした。


吉祥寺駅周辺の賑わいは想像以上で、待ちゆく人は若々しく洗練されていて、センスの良いお店が多く、さりげなくオシャレな街という印象。散策していて大変楽しいエリアですが、人混みは思った以上で、帰宅後はクタクタでした(笑)


そして、吉祥寺に美味しいチョコレート屋さんがあるということで伺ってみました。

北口から10分程にあるお店でPresqu’ile (プレスキル)」とういチョコ専門店です。


ショコラティエ・シェフの小枝知博氏は海外でも多くの賞を受賞されていています。

創作性が素晴らしく、チョコレートのマジシャンという印象です。


初めての吉祥寺でした


北口から延びるサンロード通り。大変な賑わいでした。

長~く延びるサンロードエリアは庶民的なエリア。

駅近辺には東急百貨店やマルイなどのデパートもあり、都会らしいセンスを感じます。

チョコレート専門店「Presqu’ile 」


創作性を感じるチョコレート「パレシリーズ」

美しいチョコレートのメダルという感じです。

食べるのがもったいない(笑)

プレスキルでは、フォンダショコラといって温めて頂くチョコレートが有名

持ち歩きに自信がなかったので今回は遠慮しましたが、次回は是非ゲットしたいと思います。

隠れたイタリアン 「Gotta(ゴッタ)」 @藤沢 余談:空港ターミナル 睡眠薬入りウエルカムドリンク事件

2021年にオープンした比較的新しい藤沢にある小さなイタリアン「Gotta(ゴッタ)」にランチで訪問。


ビルの1階にありますが、通りに面しておらず、通りから奥まった目立たないところにGottaのエントランスがあります。20席弱の小さなお店です。


予約せず飛び込みで訪問。週末のランチタイムですが、席の半分は予約で埋まっていて、カウンターなら空いてますということで案内頂きました。


大変カジュアルな雰囲気で、男性2人でテキパキとお店を切り盛りしていました。


Gottaのエントランス(ビルの奥まったところにあり、通りからは少し見えにくいところにエントランスがあります)

ランチは前菜+パスタ+飲み物で1900円とかなりリーズナブル

生のジンジャーがたっぷり入った自家製ジンジャエールを頂きました。

~前菜~
種類が盛りだくさんでカラフルな見事な前菜でした。

これだけでも結構満足です(⌒∇⌒)

パスタは妻と別の物を注文し、各々小皿に分けてサーブしてもらいました。


①牡蠣をたっぷり使ったトリポリーニ
牡蠣のエキスがショートパスタにうまくからみ、とても美味しい。
多くの方がこのトリポリーニを選択していました。

②シラスと菜の花にからすみを散らしたスパゲティ
オリーブオイルでソテーした菜の花の苦みがシラスと見事に融合。
こちらも美味しいパスタでした(⌒∇⌒)

いままで知らない店でしたが、満足度の高いお店でした。
お昼時でしたが、日本酒と合わせているお客さんもいました。
白ワイン感覚で頂くのもよさそう。


余談:空港ターミナル 睡眠薬入りウェルカムドリンク盗難事件


お金に関わる犯罪には色んな手口があり、最近はITを駆使した詐欺の犯罪が急速に増えています。ただ、ひと昔前は、ITや通信手段が現在ほど発達しておらず、犯罪者は多様な悪知恵を働かせていたように思います。


思い出すのが空港のターミナル出口のウェルカムドリンク犯罪事件です。

10年以上前ですが、東南アジアやインドへよく出張していた時です。空港で入国審査を終え、チェックイン荷物を受け取り、無事税関を通過し、空港ターミナルを出た時は、ややこしい事が終了しどうしても油断しています。しかし、ほっとした心理状態時は犯罪の餌食になりやすい。


気の良さそうな兄ちゃんが「ようこそ〇×へ、ウェルカム・ドリンクのサービスです」と紙コップに入ったジュースのようなものを提供。「ありがとう」と受け取り、気安く飲んでしまうとアウトです。強烈は睡眠薬入りのジュースを飲ませ、「訪問目的はなんですが?良い滞在を!」などと少し話し、あとをついてきて、ふらっとした時に荷物を根こそぎ奪っていくという事件が頻発していました。


私もよく、ウェルカムドリンクをターミナル出口で提供されたことがありました。

大概がニコニコした気の良さそう兄ちゃんで、ついつい手に取りそうになってしまいます。

もちろん、受け取ったり飲んだりしたことはありませんが、多くの日本人がこの手口で盗難の被害に合っていました。

今はこういう犯罪はもうないでしょうね。。。

横浜にある3つの塔 ~まるで海外@開港記念館~ 余談:阪神淡路大震災~30年

横浜港近辺には大正~昭和初期に建てられた3つの塔があります。


一つ目は現在も神奈川県の本庁舎と使われている建物で「キングの塔」。今でもよくドラマのロケでも使われています。
二つ目は横浜税関としてつかわれている「クイーンの塔」
そして、三つ目は横浜市開港記念館で「ジャックの塔」と呼ばれています。


現在横浜港周辺には高層ビルが立ち並び、塔そのものは目立たなくなりましたが、低層階建築しかなかった昭和初期には3つの塔はよく目立っていたと思います。
遠くから横浜へ入港する目印にもなっていたようです。


横浜開港記念館「ジャックの塔」 英国風の建物

神奈川県庁「キングの塔」 風格が漂っています!

横浜税関「クイーンの塔」 モスクのような雰囲気です

まるでここは海外?と思わせる開港記念館の外観♬
内部は見学可能です。

江戸末期の雰囲気がよく伝わるステンドグラス

黒船をモチーフした素晴らしいステンドグラス

よくメンテされていますが、内部は昔の雰囲気がそのまま残っています。
会議室やホールは現役!一般に貸し出ししているようです。


余談:阪神淡路大震災~30年


1995年1月17日の早朝に阪神淡路大震災が起きてから今年で30年
当時私は鎌倉の自宅にいました。1月14日(土)~16日(月)は3連休で、震災の前日16日はフルマラソンの市民大会に参加し、疲れ切った体で17日(火)の朝を迎えていました。
そして、TVニュースを付けたところ、関西がとんでもない状況になっていました(もしかしたら、早朝に少しの揺れを感じて起きたのかもしれませんが、そこまでの記憶がない)。


実家が兵庫県尼崎にあり、幸いにもすぐに電話は繋がりました(その後、しばらくしてから全く通じなくなりました)。実家には母親、妹、そして母方の祖母が一緒に暮らしていました。まだ日が明けきらない状況で、命に別状はないことは確認できましたが、母親からは電話越しに家の外は瓦が散乱し足の踏み場もないことなど恐怖を物語り、途方にくれている様子が伝わってきました。しかし、とりあえず命があってホッとしました。


震災の翌々日の水曜日~から休みを頂き、飲料など緊急支援物資を携えて尼崎に向かいました。新幹線は京都まで、京都~JRと阪急電車を乗り継ぎ、実家へたどり着きました。
震源地から離れてはいるものの、尼崎界隈もかなり大きな被害を受けていました。


実家の倒壊は免れたものの、屋根瓦がほぼ全て落下しており、内壁はところどころヒビが入っていました。ただ、傾きは無かったので、雨対策さえすれば住める状況でした。


近所の方に手伝っていただき屋根に青いビニールシートをかけ緊急対応をまず行いました。電気、ガス、水道が使えたかどうかは記憶に残っていませんが、多分大丈夫だったと思います。3日~4日滞在し、何とか生活ができることを確認し、鎌倉へ戻ってきました。


その後、市の担当の方に家をみてもらい、「半倒壊」という診断がおりました。
屋根、外壁などの修復を行い、震災から5年ほど住んでいましたが、2000年頃に母親は一人住まいになったことを契機として実家の建て替えを行いました。


今は実家の周辺の多くの住宅も建て替わっていて、震災の面影はなくなりました。
あれから30年~早いものです。
繁栄も復興も、1世代(25年くらい)経過するとガラッと変わるものだなぁと思いました。


お正月には能登半島地震からはや1年。一昨日は東日本大震災から14年。日本人は震災とともに暮らしているんだなぁとつくづく思います。

そして、南海トラフへの備えなど叫ばれていますが、尼崎界隈をみると日本は復興の力があると思います。でも、まずは備えですね。


余談が長くなりました。。。